NIPAF07を終えて、大学も卒業して、さあいよいよ社会にでるのだと思っていた3月の終わりに、高校の頃からの友達が亡くなった。僕はいつも通り道端で納豆をかき混ぜていた3月28日の朝7時過ぎに、そいつは自宅でゆったりと、生きるのをやめたのだそうでした。
高校3年で初めて同じクラスになり、僕らは男10人程でいつも、いっつも、つるんでいました。そいつはいつも明るくて、エロいことばっかり言っていました。僕にはそういう面しか見えませんでした。
連絡を受けた翌日にお通夜、その翌日に葬儀、告別式を行い、僕らはみんな、そいつの骨を拾いました。それから一週間、僕はそいつのために絵を描きました。
前に一度、この友人達をテーマに絵を描いてカラーコピーしてみんなにあげたことがありました。「あの子が、これを指差しながら、こいつは誰であんなやつだ、こいつは誰でこんなやつだ、て、楽しそうに説明してくれました。とっておこうか迷ったけれど、気に入っていたので持たせてあげることにしました。」と、お通夜の後にそいつのお母さんは僕に伝えてくれました。僕は、今一度、絵を描いてあげるしかないと思いました。
一晩かけて描きあげて、翌日の葬儀の際にそいつの家族に渡そうと思いました。でもその晩に絵は描けませんでした。出来上がらなかった描きかけの絵はそいつに持たせてやって、家族にあげる絵は、後でもう一度、一から描き直す事にしました。
葬儀は、僕らの仲間の一人のそいつへの手向けの言葉で始まりました。素直で悲しい真っ直ぐな言葉でした。そのときまで、僕の心の中には何か怒りのような感情か漂っていましたが、なんだかもうただ悲しくなりました。そいつがいなくなることを、そいつの存在が無くなることを、確かに感じたからです。
「ご友人の方々は、どうぞお花を…」という腹立たしいくらいに無機質なアナウンスが流れると、参列者たちは棺の中に花や手紙や写真を入れてゆきました。僕らも列に加わり、一人ずつ、皆で作った折鶴と各自が書いた手紙、それとそれぞれが用意した贈り物を、そいつの上に静かに乗せてあげました。棺の中に眠るそいつの胸の上に3年前に僕がみんなにあげたあの絵のコピーが置かれていたのを見て、僕はどうしようもない気持ちになりました。その絵が決して適当な気持ちで描いたものではなかったことが僕を救いました。もしその絵の中に一つでも嘘が混じっていたなら、僕は一生後悔しなければいけませんでした。
この日は、物心ついて以来、最高に泣きました。
葬儀の翌日から、じっくり一週間絵を描きました。本気で描きました。
桜とみんなを描きました。堂々とそいつの家族にあげる事が出来るものが出来ました。
絵を描きあげて、自分の中でなんとなく一段落がついた感じがしました。
その絵はまだ僕の手元にあります。皆の署名が集まり次第、そいつの家族に届けに行きます。
そいつは何も残さずにいきました。でも僕らはみんなそれぞれにとても大事なものを受け取りました。それはやっぱりそいつが残してくれたものなんだと思います。仲間の一人が、「居たらとりあえずひっぱたいてやりてー。」と言っていました。「考えても仕方ないけど、もしあの時、て考えずにはいられない。」とも言っていました。
認めることも消化することも実感することも出来はしません。ただだんだんと忘れていくだけでしょう。だから、「大切なことは、忘れない事」なんだ。
僕らはもう、日々適当に過ごしてなんかいられなくなった。そいつのお父さんに言われたから。そいつの分まで生きてくれ、て。本当の言葉で言われたんだから。ね。
だからー、ねー!
みんなーー!なにか悩んだり落ち込んだりしたらー、誰でもいいからとりあえず電話をかけろーーー!ぜーーーったい自分一人だけで抱えちゃだめだよーーー!そんでもう、なにより、なにより、死んだらあかん。絶ーーーーーーーーー対だ!!頼むよ♪
さー、明日も頑張ろうぜ☆もう、今日、か!
高校3年で初めて同じクラスになり、僕らは男10人程でいつも、いっつも、つるんでいました。そいつはいつも明るくて、エロいことばっかり言っていました。僕にはそういう面しか見えませんでした。
連絡を受けた翌日にお通夜、その翌日に葬儀、告別式を行い、僕らはみんな、そいつの骨を拾いました。それから一週間、僕はそいつのために絵を描きました。
前に一度、この友人達をテーマに絵を描いてカラーコピーしてみんなにあげたことがありました。「あの子が、これを指差しながら、こいつは誰であんなやつだ、こいつは誰でこんなやつだ、て、楽しそうに説明してくれました。とっておこうか迷ったけれど、気に入っていたので持たせてあげることにしました。」と、お通夜の後にそいつのお母さんは僕に伝えてくれました。僕は、今一度、絵を描いてあげるしかないと思いました。
一晩かけて描きあげて、翌日の葬儀の際にそいつの家族に渡そうと思いました。でもその晩に絵は描けませんでした。出来上がらなかった描きかけの絵はそいつに持たせてやって、家族にあげる絵は、後でもう一度、一から描き直す事にしました。
葬儀は、僕らの仲間の一人のそいつへの手向けの言葉で始まりました。素直で悲しい真っ直ぐな言葉でした。そのときまで、僕の心の中には何か怒りのような感情か漂っていましたが、なんだかもうただ悲しくなりました。そいつがいなくなることを、そいつの存在が無くなることを、確かに感じたからです。
「ご友人の方々は、どうぞお花を…」という腹立たしいくらいに無機質なアナウンスが流れると、参列者たちは棺の中に花や手紙や写真を入れてゆきました。僕らも列に加わり、一人ずつ、皆で作った折鶴と各自が書いた手紙、それとそれぞれが用意した贈り物を、そいつの上に静かに乗せてあげました。棺の中に眠るそいつの胸の上に3年前に僕がみんなにあげたあの絵のコピーが置かれていたのを見て、僕はどうしようもない気持ちになりました。その絵が決して適当な気持ちで描いたものではなかったことが僕を救いました。もしその絵の中に一つでも嘘が混じっていたなら、僕は一生後悔しなければいけませんでした。
この日は、物心ついて以来、最高に泣きました。
葬儀の翌日から、じっくり一週間絵を描きました。本気で描きました。
桜とみんなを描きました。堂々とそいつの家族にあげる事が出来るものが出来ました。
絵を描きあげて、自分の中でなんとなく一段落がついた感じがしました。
その絵はまだ僕の手元にあります。皆の署名が集まり次第、そいつの家族に届けに行きます。
そいつは何も残さずにいきました。でも僕らはみんなそれぞれにとても大事なものを受け取りました。それはやっぱりそいつが残してくれたものなんだと思います。仲間の一人が、「居たらとりあえずひっぱたいてやりてー。」と言っていました。「考えても仕方ないけど、もしあの時、て考えずにはいられない。」とも言っていました。
認めることも消化することも実感することも出来はしません。ただだんだんと忘れていくだけでしょう。だから、「大切なことは、忘れない事」なんだ。
僕らはもう、日々適当に過ごしてなんかいられなくなった。そいつのお父さんに言われたから。そいつの分まで生きてくれ、て。本当の言葉で言われたんだから。ね。
だからー、ねー!
みんなーー!なにか悩んだり落ち込んだりしたらー、誰でもいいからとりあえず電話をかけろーーー!ぜーーーったい自分一人だけで抱えちゃだめだよーーー!そんでもう、なにより、なにより、死んだらあかん。絶ーーーーーーーーー対だ!!頼むよ♪
さー、明日も頑張ろうぜ☆もう、今日、か!