ケイ・オエック(フィリピン、ケソン、女)
Kaye O'yek (Philippines, Quezon, Female)
1975年生れ。フィリピン芸術協会の広報担当として働くうちに自分が表現者となった異色の経歴。成長と拡大の時代に於ける我々の変容。初来日。
**********
ケイとは去年11月に中国3都市で行われた第3回日中行為芸術交流計画展で一緒だった。霜田さんがアジアから4名のアーティストを招待し、その中の1人がケイだった。フィリピンのロナルドとケイ、インドネシアのマデ・ス−リャダルマ、韓国のキム・ガンチュル、それに日本から霜田さん、白川さん、丸太さん、僕、パーこ、大池くん、関根くん、寺尾さん、伊久間くん、そして丸山君の計14名で北京、成都、西安をパフォーマンスしながら旅した。
僕は夜や暗いところでは目が見えなくなってしまうのだが、旅の間はそういうときよくケイにサポートしてもらった。
彼女には小学生くらいの一人息子がいて、旅の後半にはよく「I miss my son〜」ともらしていた。
さあ、今度は僕らが迎える番。再会が待ち遠しい。
Kaye O'yek (Philippines, Quezon, Female)
1975年生れ。フィリピン芸術協会の広報担当として働くうちに自分が表現者となった異色の経歴。成長と拡大の時代に於ける我々の変容。初来日。
**********
ケイとは去年11月に中国3都市で行われた第3回日中行為芸術交流計画展で一緒だった。霜田さんがアジアから4名のアーティストを招待し、その中の1人がケイだった。フィリピンのロナルドとケイ、インドネシアのマデ・ス−リャダルマ、韓国のキム・ガンチュル、それに日本から霜田さん、白川さん、丸太さん、僕、パーこ、大池くん、関根くん、寺尾さん、伊久間くん、そして丸山君の計14名で北京、成都、西安をパフォーマンスしながら旅した。
僕は夜や暗いところでは目が見えなくなってしまうのだが、旅の間はそういうときよくケイにサポートしてもらった。
彼女には小学生くらいの一人息子がいて、旅の後半にはよく「I miss my son〜」ともらしていた。
さあ、今度は僕らが迎える番。再会が待ち遠しい。