僕はよく、自分は考え事をすることが多い、と思ったり、人にそう言ったりしていて、そういう言い方をするとそれを聞いた人や、自身に対してのそれを聞いた僕自身も、僕はこの自分という一つの主体の脳を通してそれをとりまくあらゆる世界の現象の中の自分が関係できる限りの事象に対して主体的に何かを思考している、と思いがちだけど、実際のところ僕にとっての「考える」という行為の内容は、自分の脳を通してあるかなり限られた空間の中の特定の出来事の前に居る自分のことを見ながらその自分が何を思ったり考えたりしているのかを妄想している、というとてもとてもナルシスティックなもので、そこを突き抜けて何らかの普遍的なものに至ることもない、そういうものだと思う。
結局今のところ、そういうのが僕は好きだし、考えたり思ったりすことを仕事にしているわけでもないから、あとは幸運なことに僕のいまの生活環境は多分結構いいほうだから、そんなわけで、考え方や思い方をより有効で有益で合理的で健康的で建設的で社会的な方法に変える必要に迫られることもないし、だから僕はその面では自分をとても甘やかしているつもりです。
今はとりあえずです。
結局今のところ、そういうのが僕は好きだし、考えたり思ったりすことを仕事にしているわけでもないから、あとは幸運なことに僕のいまの生活環境は多分結構いいほうだから、そんなわけで、考え方や思い方をより有効で有益で合理的で健康的で建設的で社会的な方法に変える必要に迫られることもないし、だから僕はその面では自分をとても甘やかしているつもりです。
今はとりあえずです。
言葉の問題、というか、そういうのが言葉の面白いところだと僕は思います。
言葉の面白いところなのか、はたまた、人間の面白いところなのか。
なんだって言葉だ、と言ってしまえばそれまでで、なんだって○○、という文章にはかなりたくさんの言葉が当てはめられる気がするし、別に言葉についてしきりに勉学したいわけじゃないけど、比較的、言葉のことは僕の中でひっかかりやすいことだから、それについて考えたり思ったりすることは多い。
言葉の面白いところなのか、はたまた、人間の面白いところなのか。
なんだって言葉だ、と言ってしまえばそれまでで、なんだって○○、という文章にはかなりたくさんの言葉が当てはめられる気がするし、別に言葉についてしきりに勉学したいわけじゃないけど、比較的、言葉のことは僕の中でひっかかりやすいことだから、それについて考えたり思ったりすることは多い。