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「風景になる」ということが自分の周りでちょっと議題になっていたので僕もそれについていろいろ考えてみている。
ここで議題にあがっている「風景になる」というのはどういうことかというと、この話の始まりは、来年3月に開催しようかということになっている「ナンゾザランヤvol.8」をどういったイベントにしようかというところから始まっていて、今度のナンゾはbug-depayseがあらかじめ空間を作り、その空間の中で各参加者にそれぞれの表現をやってもらおうかということになってきている。そこで「風景になる」というのが出てきた。つまり、バグは空間を作るわけであり、自分たちだけで完結する作品を作ってしまってはいけないわけだ、だってそこに他の参加者が入ってくるわけだから。だからバグが作る空間は風景のようなものでないといけないのではないか、という、そういう話である。

「風景になる」ということは僕にとっては結構普段から気にしていることで、どうしてかというと、大学のときにゼミの中で先生が、「小林秀雄が書いていたんだけど、「本当の芸術は自然になる。そうして向こうからこちらを見つめ返してくる」んだって。」って教えてくれたことがあって、僕は小林秀雄は好きでちょこちょこ文章を読んでいるけど実はまだその言葉に当たったことが無いのだけれども、先生が言っていたその言葉はつよく印象に刻まれていて、心の中のあまり目立たないところにだけどいつもずっとそれは在って、気にしている。僕もなんとなく、そういうものを本当の芸術というような気がしているから。なんとなく、小林秀雄にうまいこと言われたような気がしているから。

で、「風景になる」ということを考えてみた。
「風景になる」、というときに、「何が」風景になるのか。「風景」というのは何か、と考えると、山とか川とか、海とか、街とか、空とか、そういうもの、ていうか、人間以外のことじゃないだろうか。あるいは動物以外か。
しかし、人間や動物がいても、風景になることはある。たとえば街の様子を撮影した写真の中にはたいてい人間が写りこんでいる。豊かな自然を感じさせるような写真の中には動物が写りこんでいることが多い。それでもそれらの写真は、それが風景写真として撮られている限り、風景写真として見ることができると思う。
風景写真として撮られる、というのはどういうことかと考えると、これは「フレーム」ということに関わってくる問題だと思う。つまり、フレームに対して撮影される対象がどこに位置しどれだけの割合を占めるか、ということだ。そうなると、それが風景写真になるか、そうではない写真になるのかは、その一切がフレームを自由に設定できる撮り手にゆだねられていることになるのか。撮られる対象が、仮にとある人物がいたとしてその人物がどれだけ感情を放出させている瞬間であろうとも、撮り手がその人物を風景化するようなある位置とある大きさで配置して撮ったら、その写真は風景写真になるのだろうか。
いや、それはなかなか難しいのではないだろうか。人間の精神と感覚はそこそこ優れていると思う、特に「鑑賞」ということにかけては。たぶん、撮られる人物が撮られることを意識して、それに対して並々ならぬ意識を集中させたとしたら、写真のほんの隅っこにその人物の手一本だけでも移っていたら、やはりその一本の手は何らかの意思を見る者に感じさせるはずだと思う。人間にはそういうセンスがあると思う。
そう考えてみたときに、しかし、「顔が写っている」か、「写っていない」か、といことがまたとても重要なのではないかと思えてきた。人物の顔が、それが人物の顔だとはっきり認識するのに足るだけの鮮明さを保って写っている限り、その写真は純粋な風景写真にはなりきれないんじゃないかと思う。やっぱり顔は強い。どうしてもそこに目がいく。人間の顔は風景にはなれないのだろうか。
そう考えてみると、風景と人物とが両方写っている写真を、こっちは風景写真、こっちはそうじゃない、と判断するのはふれーむというよりは、結局それを見る人間の感覚っていうことになるのだろうか。確かに、修学旅行の集合写真も動物からみたら風景かもしれない。でも、動物から見たらとかいうのはあまり信用できないと思う。そもそも動物には風景という概念は理解できないと思うから。

今日考えてみたところでは、撮るほうにも、撮られるほうにも、その写真を風景写真にするか、そうじゃない写真にするかを左右する要素があるらしい。撮るほう・撮られるほうというのは、つまりは見るほう・見られるほうということだ。結局はそこの関係性の種類の問題なのだろうか。

「風景になる」というのは、僕にとってはひとつの目標です。
これからも気にし続けていくと思います。




Comments

    • 藤村's comment
    • 2010年12月03日 01:36
    • ↑↑↑↑↑↑↑
      読まれる記事を書くために、文章技術よりもはるかに有効なこと - 分裂勘違い君劇場
      gkpftetyznt

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野本翔平

埼玉県行田市生まれ、在住。中央小学校→忍中学校→熊谷西高校(普通科)→専修大学文学部哲学科卒。2005年にパフォーマンスアートを知り、自身もパフォーマンスアーティストとして活動を開始。国内外で作品発表。2008年から地元行田市を拠点に活動。近所のパン屋さんで毎月1回アートイベントを開催し、現在も継続中。地元で活動する中でもっと行政と深く関わる必要性を感じ、2011年4月の行田市議会議員選挙に立候補するも次点で落選。2012年から地元の若者たちとともに地域の芸術文化振興を目指す市民団体「SEED」(行田市市民公益活動登録団体)を結成。現在も精力的に活動中。
<所属団体など>
アーティストグループbug-depayse(2007-)、埼玉県立近代美術館主宰SMF(SaitamaMuseForum)(2008-)、ささやかな政治活動をする会(2011-)、熊谷ヤバイラジオ(2011-)、SEED(2012-)。

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