先ほど新町商店街の一角にある行田観光物産会の事務所にお邪魔してきました。
3月9日(日)に行田観光物産会の主催で八幡神社の前の通りでイベントが開催されます。その際にSEEDのチンドン部隊が出動し、にぎやかしを行う事になったので、そのことについての打ち合わせのために寄ったのです。
SEEDチンドン部隊は去年12月6日の酉の市で鮮烈なデビューを飾った、個性的なメンバー5名によるチンドン屋です。僕もその一員。とはいえ僕たちは本物のチンドン屋ではないし、本物をやっている人達に習ったわけでもありません。全くの我流です。ふざけてやってるだけじゃないか、と言われてしまえば全くその通りで返す言葉もありません、と返答してあげたいところですが、しかしながらふざけてやってるというのは間違っています。超真剣にやっています。遊びというのは真剣にやってこそ面白いのです。僕たちは本気で遊んでいるのです。真剣そのもの。お祭りで人が集まっている中を楽器を持って演奏しながら練り歩くのですからなかなか危険なのです。適当にやって事故でも起きたら大変です。初めからおわりまでの段取りやもし万が一事故が起こった場合の対応などはきちんと話し合っています。でも遊びですよ。超真剣に遊ぶ。ここが大事なところです。
遊びのセンスが、行田にはまだまだ足らないと思います。これまでいろいろな場所でいろいろな人達とまちづくりについて議論してきましたが、往々にしてみんな真面目すぎます。悪く言えば、頭が固すぎます。その点で考えると、今回僕たちにチンドンのオファーをしてくださった行田観光物産会の方々は柔軟な方々なのではないかと思います。今日伺ったときにも事務所内では堅い話ももちろんですが、馬鹿みたいな話も出ていて、柔軟な感じを受けました。
行田観光物産会の方々に行田の商店について聞いてみました。すると、個々のお店にそれぞれ特徴はあるものの総じて保守的であるという答えが返ってきました。予想通りの答えでした。理由もこれまでにいろいろな場所でいろいろな人から何度も聞かされてきているのと同じものでした。やっぱり現状はしばらく変わっていないようでした。
しばらく変わっていない現状というのは、ざっくり言うと、今現存している商店の多くはかつて行田が足袋産業で栄えていた時代の蓄えがまだ残っていて、それを食いつぶしていけば生活するのには困らない、という状況です。
僕は行田を拠点にアート活動をやってみようと思ったときに商店街の空き店舗を活用できないかと考え、直接訪問して、出来るだけ安く貸してもらう事は出来ないかと聞いてみた事がありました。2006年頃の事です。そのときも同じ理由から、余計な事はしてくれなくて良いと断られました。もはや現状の商売が立ち行かなくなっていても過去に蓄えた財産で少なくとも自分達が一生を終えるまでは生活に困る事はないので、面倒な事はしたくないのだそうです。
未だに変わっていない行田の商店の体質。その商店の商品を引き受けてPRしてあげる活動をしている行田観光物産会もそれではなかなか報われないだろうなと思いました。
とはいえ、愚痴ばかり言っていても意味はありませんし、そうこうしているうちに自分達もあっという間に高齢者になっていつの間にか若者たちの邪魔になってしまっているなんてことにもなりかねません。とにかく動く事が大事です。話を理解してくれない人ともとにかく話し続ける事が大事です。もしかしたらそのうちにお互いの妥協点が見つかるかもしれません。お互いに年齢が変われば価値観も変わってきます。自分を取り巻く環境も変わります。意見のやり取りを断絶してしまってはいけません。お互いの意見の合わなさを露呈する事もそこから次の議論へ進むためのステップとして必要です。とにかくコミュニケーションすることをやめてはいけません。結果がついて来ない可能性を認めながら「でも、もしかしたら…」という可能性に賭けて続けていくしかありません。
結果がついて来なくても、それが当たり前だと思います。だから別にひどく気を病む必要なんかないし、できればさらっと流して、無理ならちょっと休んで、また他愛もない対話から始めればいいと思います。僕は基本的に楽観主義者なので、どんどん流します。どんどん流して、その分だけ新しく対話を始めます。対話がなんとかかみ合って、少しずつでも言葉が積み重なっていけば、それはラッキーです。コミュニケーション能力がどうとか、心理学的にどうとか、そういうことは僕は全く信用していませんし、役に立つとも思っていません。運、あるいは縁でしかないと思います。特にまちづくりなんて、人間関係の渦の最たるものですから、それを耳あたりの良い流行のスキルみたいなものでシュッと切り抜けるのには無理があると思います。地道にやるしかないと思います。一見無駄に思えるような他愛もない言葉のやりとりをとにかく続けていくしかないと思います。それに、そうやって時間をかけてやっていくべきものだとも思っています。
SEEDの若者たちにもそういう感性を伝えていきたいと思っています。
3月9日(日)に行田観光物産会の主催で八幡神社の前の通りでイベントが開催されます。その際にSEEDのチンドン部隊が出動し、にぎやかしを行う事になったので、そのことについての打ち合わせのために寄ったのです。
SEEDチンドン部隊は去年12月6日の酉の市で鮮烈なデビューを飾った、個性的なメンバー5名によるチンドン屋です。僕もその一員。とはいえ僕たちは本物のチンドン屋ではないし、本物をやっている人達に習ったわけでもありません。全くの我流です。ふざけてやってるだけじゃないか、と言われてしまえば全くその通りで返す言葉もありません、と返答してあげたいところですが、しかしながらふざけてやってるというのは間違っています。超真剣にやっています。遊びというのは真剣にやってこそ面白いのです。僕たちは本気で遊んでいるのです。真剣そのもの。お祭りで人が集まっている中を楽器を持って演奏しながら練り歩くのですからなかなか危険なのです。適当にやって事故でも起きたら大変です。初めからおわりまでの段取りやもし万が一事故が起こった場合の対応などはきちんと話し合っています。でも遊びですよ。超真剣に遊ぶ。ここが大事なところです。
遊びのセンスが、行田にはまだまだ足らないと思います。これまでいろいろな場所でいろいろな人達とまちづくりについて議論してきましたが、往々にしてみんな真面目すぎます。悪く言えば、頭が固すぎます。その点で考えると、今回僕たちにチンドンのオファーをしてくださった行田観光物産会の方々は柔軟な方々なのではないかと思います。今日伺ったときにも事務所内では堅い話ももちろんですが、馬鹿みたいな話も出ていて、柔軟な感じを受けました。
行田観光物産会の方々に行田の商店について聞いてみました。すると、個々のお店にそれぞれ特徴はあるものの総じて保守的であるという答えが返ってきました。予想通りの答えでした。理由もこれまでにいろいろな場所でいろいろな人から何度も聞かされてきているのと同じものでした。やっぱり現状はしばらく変わっていないようでした。
しばらく変わっていない現状というのは、ざっくり言うと、今現存している商店の多くはかつて行田が足袋産業で栄えていた時代の蓄えがまだ残っていて、それを食いつぶしていけば生活するのには困らない、という状況です。
僕は行田を拠点にアート活動をやってみようと思ったときに商店街の空き店舗を活用できないかと考え、直接訪問して、出来るだけ安く貸してもらう事は出来ないかと聞いてみた事がありました。2006年頃の事です。そのときも同じ理由から、余計な事はしてくれなくて良いと断られました。もはや現状の商売が立ち行かなくなっていても過去に蓄えた財産で少なくとも自分達が一生を終えるまでは生活に困る事はないので、面倒な事はしたくないのだそうです。
未だに変わっていない行田の商店の体質。その商店の商品を引き受けてPRしてあげる活動をしている行田観光物産会もそれではなかなか報われないだろうなと思いました。
とはいえ、愚痴ばかり言っていても意味はありませんし、そうこうしているうちに自分達もあっという間に高齢者になっていつの間にか若者たちの邪魔になってしまっているなんてことにもなりかねません。とにかく動く事が大事です。話を理解してくれない人ともとにかく話し続ける事が大事です。もしかしたらそのうちにお互いの妥協点が見つかるかもしれません。お互いに年齢が変われば価値観も変わってきます。自分を取り巻く環境も変わります。意見のやり取りを断絶してしまってはいけません。お互いの意見の合わなさを露呈する事もそこから次の議論へ進むためのステップとして必要です。とにかくコミュニケーションすることをやめてはいけません。結果がついて来ない可能性を認めながら「でも、もしかしたら…」という可能性に賭けて続けていくしかありません。
結果がついて来なくても、それが当たり前だと思います。だから別にひどく気を病む必要なんかないし、できればさらっと流して、無理ならちょっと休んで、また他愛もない対話から始めればいいと思います。僕は基本的に楽観主義者なので、どんどん流します。どんどん流して、その分だけ新しく対話を始めます。対話がなんとかかみ合って、少しずつでも言葉が積み重なっていけば、それはラッキーです。コミュニケーション能力がどうとか、心理学的にどうとか、そういうことは僕は全く信用していませんし、役に立つとも思っていません。運、あるいは縁でしかないと思います。特にまちづくりなんて、人間関係の渦の最たるものですから、それを耳あたりの良い流行のスキルみたいなものでシュッと切り抜けるのには無理があると思います。地道にやるしかないと思います。一見無駄に思えるような他愛もない言葉のやりとりをとにかく続けていくしかないと思います。それに、そうやって時間をかけてやっていくべきものだとも思っています。
SEEDの若者たちにもそういう感性を伝えていきたいと思っています。